Toyosato (Shiga) , JAPAN
2020/06/10
コロナ禍真っ只中の今、この文章をここに投稿することが、適切であるのか、と言われれば、適切ではないのかもしれない。
また、リニューアルしたサイトで、初めて記す雑記が、このような内容であることは、お詫びしたい。
ただ、自分の思いを記す場所が欲しかった。
今まで、仕事の日だと、6時半くらいに起きて、洗濯機を動かしている間にシャワーを慌ただしく浴びて、前日に買ったパンと、ペットボトルのコーヒーを、鞄に詰めた後、仕上がった洗濯物を干した後、慌ただしく出発するのが8時。持参したパンは駅で電車を待つ間に食べる。そんな朝を迎えていた。
しかし、今は、8時ころに起床して、シャワーを浴びた後に洗濯機を回し、のんびり朝食をとりつつネット配信のニュースを見る。9時過ぎ、オフィスの斜陽PCにリモートデスクトップ接続をして、9時半になったら始業する――。
朝の時間に、とても余裕ができた気がした、今の生活を送っている。
4月下旬に、「特別定額給付金」が、国民一人当たり、10万円支給されることとなった。それまで、経済困窮世帯に30万円という内容だったため、普段より収入は減ったものの、困窮しているわけではない自分には、関係ない話だと思っていたが、国民全員に10万円、という話に、一瞬胸がときめいた。
しかし、すぐに、落胆に変わった。
詳しい事情は、ここでは伏せるが、「受給権者が世帯主」であることで、自分の10万円は、世帯主(父)のもとへ、渡ることととなった。
自分は世帯主ではない。したがって、自分宛てに特別定額給付金の支給通知は届かない。当たり前のことだが、自分の口座に10万円は入らない。
世帯分離すればいいのではないか、ネット上ではそう記されていたりしたが、発表されて、実質2日しかない中で、それを実行に移すことは、叶わなかった。
(世帯を分けるに値する事柄が記された証明書、それを準備することが、かなわなかった)
今頃、世帯主の口座に入金され、何らかに使われているのだろう。
また、DV加害者の世帯主から逃げている場合、その証明があれば、世帯主とは別の口座に入金することもできる、そうも記されていたが、暴力を受けているわけではないため、こちらは対象外だった。
結果として、自分は、受給する権利がない状態となった。
自分の周りでは、幸いにも、生活に困窮している人が少なかった。(もちろん、少なからずはおられる)
SNS上では、10万円の使い道に関する発言が増えてきた。
申請した人、振り込まれた人、書類がまだ来ない人、それぞれいるが、もらえること自体は決まっているだろう。
パソコンを買ったり、趣味の品を購入したり、旅行資金にしたり、オンラインゲームに課金したり――
なかには、税金の支払いに使ったという話もあったりするが、普段の収入の中から支払うものを、
そこから支払いせずに済んだ、という意味では、結局のところ、生活が困窮していない人から話を聞くと、
「あれが買えた」に近いものがある。
10万円であれが買えた、これが買えた。そういったものを目にするのが、とても辛い。
もちろん、それを発信することは全く問題ないことである。発信するな、という意見を出すこと自体、お門違いだ。
辛いならば、見なければよいのではないか、その意見も、もちろんその通りである。
しかし、すべてのSNSから身を引かない限り、それは無理だということも、知ってほしい。
また、10万円の使い道を聞かれることもある。もらえないことを話すと、その理由を説明することになる。
いろいろな仲間に、もう何度も説明した。惨めになるから、もうこれ以上説明したくはない。
おそらく、自分が旅行に行けば、10万円で旅行に行ったかのように言われるのだろうが、
事前に買っていた航空券だったり、今までためていたポイントを使ったりしただけで、10万円で行くわけではない。
10万円の使い道と思われることが、とても悔しい。
もちろん、自身が手にしたお金で買っているのだから、それを責めることはできない。いや、責めてはいけない。
他人が手にした、お金の使い道について、外様から意見を述べることは、もちろん、してはならないし、できない。
ただ、SNSに記されたそれを見ると、「あの人はもらえるのに、自分はもらえない」という事実だけ、どうしても頭に浮かんでしまう。
自分が惨めに感じる瞬間が、そこにある。
多少減ったとはいえ、給料日になれば、給料は手にすることができる。
公共料金は増えたけど、居住している市では、少々減額される措置が実施された。
困窮している世帯からすれば、おまえは何を言ってるのだ?と言われそうな、お門違いな思いであることは、もちろん承知している。
ただただ、他人が手にした10万円の使い道を、うらやましく眺めることしかできない自分。それが悔しい。
子供の頃、よく親から言われた言葉である。まぎれもなく、その通りである。
よそが10万円もらえるからと言って、自分がもらえるかといえば、そうではない。
繰り返しになってしまうが、それを「よそ」に責めることは、もちろんお門違いだ。
10万円でいろいろなコトやモノにつかっているところを見て、惨めな思いを抱くことが、自分がただできる、唯一の手段だと思う。
おそらく、今回のような、大盤振る舞いのような給付は、もうないだろう。自分が10万円(といわず、少々の金額も)手にすることは、おそらくないだろう。
10万円を手にできた人は、それを有意義に使ってほしい。ただ、それだけは願いたい。
10万円がもらえないから、他人をけなすとか、そういうことはもちろんしない。
(自分がもらえないことをわかっていて、自慢してきたり、といったことだと、それは別の話になると思うが)
会話の輪の中で、10万円の話題が出ているとき、自分に話を振られない限り、会話に参加することはないだろう。
話を振られた時、会話に詰まっても、どうか優しい目で見てほしい。
10万円でぬか喜びをしたひとは、こんなことを感じているのか、馬鹿な人だな、そう感じられるかもしれない。
ただ、思いを記す場所が欲しかった。